ユーロ圏債務危機を鎮静化を最優先G8
NHKのニュースで野田総理が政府専用機で帰国している姿が映ってたけれど、
ユーロ圏債務危機の鎮静化で手一杯というところでしょうか。
気になったのはフランスのオランド新大統領。
ENAの卒業生ということで典型的なエリートコースを
歩んできた人かと思ったら、そうでもないようですね。
以下、wikiから
略歴 [編集]
政界入り [編集]
1981年、
ジャック・シラクの対立候補として
国民議会選挙に立候補するが、第1回選挙で敗退する。シラクが50%以上の得票率であったのに対し、オランドの得票率は26%でしかなかった。しかし、ミッテランの大統領選勝利によって、側近であるオランドは大統領官邸での任務(経済問題)を担当することになる。
1983年、
ピエール・モロワ内閣で次々に現れた2人のスポークスマン、マックス・ガロとロラン・デュマの官房長となる。同年、市町村議会選挙に立候補するが敗れ、ジャック・シラクの選挙区である(
コレーズ県)
ユセルの市町村参事会員となる。
1984年、派閥争いに嫌気がさし、数人の友人、特にジャン・イヴ=ル・ドリアン、ジャン・ピエール=ミニャール、ジャン・ミシェル=ガイヤールなどと共に社会党の超派閥集団を結成した。
1993年、国民議会議員の任期を終了すると、
1997年までジャック・ドロールの政治集団「クラブ・テモワン」を主宰する。現在、彼は名誉会長を務める。会計監査院行政官としてのオランドは、
弁護士職と同等の資格を持っており、暫くの間、友人のジャン・ピエール=ミニャールの事務所で働く。
社会党第一書記へ [編集]
1994年、彼は社会党全国書記、経済問題担当となる。ジャック・ドロールが大統領選への立候補を断念した後、
リオネル・ジョスパンに接近する。ジョスパンは自らの大統領選キャンペーンの、また
1995年10月には社会党のスポークスマンにオランドを起用した。多元的左翼勝利の後、1997年、フランソワ・オランドは再び代議士(得票率54%以上をもって)となり、ジョスパンも
首相に指名された。ジョスパンは自らの後継者として社会党第一書記の地位をオランドに託した。
オランドは10年間にわたって社会党第一書記を務めた。調整型といわれる半面、リーダーとしての決断力に欠けるとの声もある。
2007年には同年の
大統領選にも出馬したセゴレーヌ・ロワイヤルとの
事実婚関係を解消した。その後、ジャーナリストのヴァレリー・トリエルヴィレールと事実婚関係となった。
大統領就任 [編集]
2012年4月22日に施行された
2012年フランス大統領選挙第1回投票で得票率28%を獲得し、現職の
ニコラ・サルコジを抑えて第1位となったが
[1]、過半数を獲得できなかったため、規定により5月6日の決選投票に持ち込まれた。5月6日の決選投票で過半数を獲得し、サルコジを下して初当選を果たした
[2]。
2012年5月15日、
エリゼ宮で就任式を執り行い、正式に第五共和政第7代大統領に就任した
[3]。新内閣の首相には
ジャンマルク・エロー社会党議員団長を指名した。また、大統領選挙での公約通り、女性閣僚を34名のうち半数の17名に増やし、大統領と閣僚の給与を30%削減した。