2012年7月1日日曜日

「壊れない」ことにされていた原発の格納容器の思想


「壊れない」ことにされていた原発の格納容器の思想

JBPRESSにアップされている福島原発問題の記事ですが・・・
この記事を読んで感じたのが、太平洋戦争のときの日本軍と日本の政治。

敗戦の焼け野原から経済復興をとげ経済大国となった日本ですが、
根っこの部分は変わっていないのかと・・・

以下、JBPRESSから

「壊れない」ことにされていた原発の格納容器このまま事故調査報告が出たら世界の笑いものに

 「現在の立地審査指針は格納容器が壊れないことを前提にしています。格納容器は壊れないことにして安全評価を行っている。格納容器は英語では“container”=『放射性物質の封じ込め容器』です。壊れると中から放射性物質が漏れ出す。それは『ないこと』にしてしまった。だから『原発から煙のように放射性物質が噴き出す』なんていう事態は考えていない。考えなくていいことになっている」

「そうです。『立地基準を満たすために、格納容器は壊れないことにする』という前提です。この前提は福島第一原発事故で完全に崩れてしまった。それを無視したままで何も対策を取らないでいるのですから、今のままでは、日本政府には原発を運転する資格がないとさえ言えるでしょう」
これと同じです。確かに、津波が来なければ、3.11のような事故は起きなかったでしょう。しかし、全国の原発は、今なおその弱点を抱えたまま運転を継続しているということを想像してみてください。『テロ』『ミサイル攻撃』『航空機墜落』『勘違い誤操作』などに対して、依然弱点をさらしたままだ。
 「(福島第一原発事故の住民被曝は)サッカーで言う自殺点、オウンゴールのようなものです。政治家、官僚、学者、報道、関係者みんなが何らかの形で罪を犯しています。家に火がついているのに、全員が見て見ぬふりをしたようなものだ。あるいは『自分が無能なことを知っていながら該当ポストに就いて給料を受け取っていた』と言うべきかもしれない。この責任を報告書にまとめるのは並大抵ではないでしょう。部内者ではだめです。真面目な専門家を入れた第三者でないとできないでしょうね」