2012年6月22日金曜日

スホーイ・スーパージェット墜落ロシアからの人材流出深刻か?


スホーイ・スーパージェット墜落でみえるロシアからの人材流出

先日、インドネシアのジャカルタ近郊で墜落したスホーイ・スーパージェット100。
墜落原因はまだ不明ですが、ちょっと気になる記事がJBPRESSに上がってました。

スホーイ・スーパージェット100の機体開発の経緯とロシア人技術者の現状についてなんですが、
ソ連が崩壊したときから軍事技術の流出って問題視されていました。そういえば・・・

以下、JBPRESSから引用

ロシアが誇る最新鋭ジェット旅客機が墜落技術者不足を露呈、今後の経済発展に暗い影

航空機産業と工作機械産業という、ある意味でソ連という国家を工業国として70年以上にわたり導いてきた2大産業が、ロシアの誕生とともに、弱体化の道を歩みはじめ、そして、今や海外企業の協力なくしては、存在できなくなってしまった理由は何か。

それは、深刻な人材不足である。
1990年代、ソ連が崩壊し、ロシアとなる過程で、航空機産業はほぼ活動を停止、当然のことながら顧客を失った工作機械製造企業は倒産状態となった。この過程で多くの中堅技術者が散逸してしまった。

一方、機械系に学ぶ学生は激減、優秀な学生たちは、金融などほかの業界に就職してしまう。専攻を云々している余裕はなく、とにかく人脈をたどり、何でもいいから仕事を得る、これが当時の学生の姿であった。
人材が流出してしまった後の結果なんですね・・・
散逸した人材はどこいったんでしょうか。

ステルス戦闘機開発、宇宙開発の報道をみていると、
中国で活躍している可能性が高いですね。

スホーイ・スーパージェット100についてwikiってみたんですが、
JBPRESSでも指摘しているようにフランス、ドイツとの共同開発になっていますね。

概要 [編集]

ソ連時代に軍用機専門の設計局であったスホーイ社が新たに民間旅客機市場に参入するために新規に開発されるのが当形式である。開発計画当初はロシア製地域ジェットの略称である、スホーイRRJ英語Russian Regional Jetロシア語Российский Региональный Самолёт Сухого ラスィーイスキイ・リギアナーリヌィイ・サマリョート・スホーガ)と呼称していたが、2006年7月17日に現在の名称に変更された。これはスホーイと韻を重ねたとのことである。またスホーイでは「居住性、燃費、技術とサービス、機体価格」のいずれも国際競争力が充分あるとしているほか、操縦桿エアバス機のようなサイドスティックを採用したり、対テロ装備として操縦室を完全防弾仕様とするなど様々な新機軸を導入している。
プロジェクトの株式の75 %は、スホーイの民間機部門となる株式非公開会社「スホーイ民間航空機」Гражданские самолеты Сухого)が保有し、残る25 %はイタリアアレーニア・アエロナウティカが保有している。機体の設計と製造はロシアのスホーイ設計局、型式証明取得作業をイリューシン、販売や顧客管理をアメリカ合衆国ボーイング社がそれぞれ担当している。またエンジンもロシアのサトゥールンフランススネクマの共同開発であり、空調制御系はドイツリーブが担当する。そのため、ソ連時代からの「純国産」を放棄し、多くの国際企業の協力を得ている。
エンジンは露仏共同開発のSaM146ターボファン双発であるが、オプションでアメリカ製エンジンの搭載も可能である。また、胴体の長短による乗客数の違いによって、スーパージェット60スーパージェット75スーパージェット95と呼称される。
2001年4月に合意成立後、2004年7月にロシアのシベリア航空からRRJ95を50機の発注(その後キャンセル)を受けプログラムがローンチになり、生産はロシアのアムール川沿の都市コムソモリスク・ナ・アムーレで行うことになっていたが、航空会社とスホーイの協力メーカーからの提案から、スホーイはモスクワなどロシアのヨーロッパに近い都市に変更した模様である。
この機体のライバルとしてアントノフAn-148エンブラエル E-Jetボンバルディア C-シリーズなどがある。またスホーイは2020年までにシリーズ全体で600機、最終的に800機の販売を目標にしており、そのうち60%に当たる500機をロシア以外で販売しようとしており、そのために西側の環境基準達成を目標にしている。実際にイタリアのブルーパノラマ航空から8機を受注し、他の航空会社からの関心も集めているという。
2011年4月19日アルメニアアルマヴィアに引き渡され、人類最初の宇宙飛行士であるユーリ・ガガーリンの名前が付けられた[2]。同年6月16日にはアエロフロート・ロシア航空でも定期便での運行を開始した[3]